翻譯夜話

出版时间:2000/11/01  出版社:ハイセソス  作者:村上春樹  
Tag标签:无  

内容概要

東京大学の柴田教室と翻訳学校の生徒、さらに6人の中堅翻訳家という、異なる聴衆(参加者)に向けて行った3回のフォーラムの記録。「夜話」とあるように、話の内容はいずれも肩の凝らない翻訳談義だが、レベルの異なった参加者との質疑応答の形をとっているために、回答内容は自ずから微妙に変奏されており、結果として入門、初級、中上級向けの3部構成の翻訳指南書に仕上がっている。
柴田が書いたあとがきに、「翻訳の神様から見れば、我々はすべてアマチュアなのだ」とあるように、両者の回答は、体系化された技術・翻訳論議に向かうのではなく、翻訳を行う際の、動機や心構えを説明することに費やされている。例えば「大事なのは偏見のある愛情」(村上)とか、「ひたすら主人の声に耳を澄ます」(柴田)とか、あるいは「(翻訳することによって、原文の世界に)主体的に参加したい」(村上)といった具合だ。
途中に、「海彦山彦」と題したカーヴァーとオースターの同一の小品(巻末に原文がある)の競訳が掲載されており、プロ翻訳家たちとの最後のフォーラムでは、これを巡った質疑が展開する。文脈や文体のうねりといった、一般論では語り尽くせない領域で具体的な論議が進行するこの部分からは、競訳ゲームのおもしろさという以上に、テキストと翻訳家との間で生じる本質的なスリルが伝わってきて、非常におもしろい。劇的な魅力たっぷりの、本書の白眉と言っていいだろう。

作者简介

フォーラム1 柴田教室にて(偏見と愛情
かけがえのない存在として ほか)
フォーラム2 翻訳学校の生徒たちと(「僕」と「私」
he said she said ほか)
海彦山彦―村上がオースターを訳し、柴田がカーヴァーを訳す(村上・カーヴァー「収集」
柴田・カーヴァー「集める人たち」 ほか)
フォーラム3 若い翻訳者たちと(“Collectors”の「僕」と「私」
良いバイアス・悪いバイアス ほか)

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用户评论 (总计2条)

 
 

  •     耶和华说:“看哪!他们成为一样的人民,都是一样的言语,如今既作起这事来,以后他们所要作的事,就没有不成就的了。我们下去,在那里变乱他们的口音,使他们的言语彼此不通。”
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      如果每个翻译都像村上这么任性的话估计编辑都要吐血去了。笑。
      
      这本册子出版是2000年,距现在已经整整12年了,当年还是东大教养学部助教授的柴田元幸也早已转正了人文社会系研究科的正教授。从生物年龄上说当时的柴田元幸46岁而村上已经51了,但是对谈的字里行间始终让人觉得比较年轻和任性的还是村上。
      
      1986年村上开始翻译约翰•艾文的早期作品《Setting Free the Bears 》,得到了柴田元幸、武藤康史、畑中佳樹、斎藤英治、上岡伸雄组成的强力学术小组的技术支持,之后村上协助当时的柴田助教授组织了一系列翻译为中心的讨论会。
      
      《翻译夜话》中收集整理了3场的讨论会记录。一是1996年在东京大学教养学部,参与的都是柴田老师翻译学习小组的学生,事先大家都不知道村上要来(真是幸福啊TAT)。二是1999年在文艺春秋西馆举行,BABEL UNIVERSITY的翻译外语专业学生报名参加。最后一次是邀请了6名年轻的翻译家深度对谈。
      
      关于村上的翻译论我只能说好任性哈哈哈~不过肯定是绝对真诚的,并且不能同意更多。我想这点默默翻译同好作品的姑娘们至少在感情上肯定会共鸣,技术水平先放在一边不提。
      
      村上说翻译是「偏見あるの愛情」,而文艺翻译即文学作品的翻译从某种意义上来说是深入到原作的最深处,在与原作者的Persona重合的理想状况下将原文置换成另外一种语言。当然等量的置换从来就是不存在的,但基于深层的理解和爱情也是能够抚平那些过程中产生的不可避免的瑕疵的。
      
      当然这跟村上从事翻译的动机直接相关的,在第一次的对谈中村上就说到作为一个英语基本野生的小说家为什么要去做翻译这种吃力不讨好的副业。当然翻译的起点肯定是读者,作为读者在作品中感受到了美和共鸣,所以希望去翻译是水到渠成的自然流程。村上也说到精读当然也是深层的理解,但是这和真正着手翻译潜入到文字与思想的深处还是有质的区别的。所以嘛,当学生问到关于翻译到不太中意的作品的问题,村上很自豪地说我只翻译自己喜欢的文章所以不存在这种苦恼的时候脑海里就脑补出柴田在一边扶额的吐槽画面。
      
      村上说写小说是一种耗损行为,在完成小说的过程中严重的损耗和失去的部分能够通过翻译这一行为治愈。对他而言翻译就是这样一种私人仪式。所以如果是以正儿八经的专业翻译角度来说村上绝对是个让人扶额的任性家伙,但是又不得不佩服他对翻译工作的诚意。而且我最喜欢村上的一点大约是他能够很自然的承认理论之间的灰色地带,而这似乎也正是所有关于翻译的争端的根源。
      
      相对村上,柴田则是学术型的翻译家,两个人的翻译风格完全相异。村上最喜欢的大家都知道,定番雷蒙德•卡佛,柴田也是很高产的翻译家,翻译的最多的应该算是保罗•奥斯特的作品。小册子最后是卡佛《Collectors》和奥斯特《Auggie Wren′s Christmas Story》的英文原文,第二次和第三次讨论会中间是村上和柴田分别翻译的这两篇日文译文,说实话非常有意思。很明显柴田的翻译读起来更纯熟,不过选词和句式很明显就是日本人写给日本人看的感觉,反观村上则绝对更有英文的feeling日文。所以我也只是以凑热闹的角度随便写写自己的直观感想……完全没有理论依据。(笑)
      
      三篇对谈由浅入深,村上和东大教授的组合绝对是值得细看哟。
      
      所以这本260页的小册子信息量不是一般的大,现在也只是一応読み終わったけど。对我来说最大的感想就是想放下书立刻去翻译点什么的冲动吧。村上背后如此牛逼的技术支持可不是普通人能享受的待遇啊,还是默默地去背单词先。
      
      自分で実際に物理的に手を動かして書いてみないと理解できないことって、あるんですよね。目を追って頭で考えていても、どしても理解できない何かがときとしてある。
      (引き写すだけじゃなく、翻訳することも)物語の魂そのもののようなものを、言うなれば肉体的に自分の中に引き入れていった。いい翻訳というのは言い換えれば、「もっとも効率の悪い読書」のことです。でも実際に自分の手を動かしてテキストを置き換えていくことにとって、自分の中に染み込んでいくはごくあると思うんです。
      
  •   很想看到中文版
 

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